『成長の限界』『限界を超えて』

放送大学の印刷教材『紛争の社会学』の中で参考文献として紹介されていた本。

成長の限界 人類の選択

『成長の限界』の発表は1972年。今のままの社会システムが続けば、来世紀中には必ず限界がきて崩壊するという警告だった。いつも通り図書館で借りた本なので、気になった文章はノートに記録してある。そのなかからいくつか、自分の言葉に変えて書くと――

――従来は技術によって自然の圧力を克服してきたので、文化・社会全体が、限界に従って生きることよりも、限界と戦うことを考えて進歩してきた。人類とその活動の相対的な大きさに比べ、一見すると地球やその資源は巨大に見え、限界が見えにくいので、このような考え方は助長された。
――個人が所有し、消費するかけがえのない物質を、最大化するより、最小化する、沢山持つことより、少しを持つことで満足させるような社会的、経済的パターンを推進していく(いくつかの未来予測の羅列のなかの一つとして挙げられていたが、著者はこれを勧めたいのだろうと思う。でも、現在食事制限をしている私としては、これがとても難しいことがよくわかる)


限界を超えて―生きるための選択

『成長の限界』の続編。フロンガスの問題は1990年頃に騒がれ始めたと記憶しているが、はじめて発表されたのは1974年だそうだ。それから1990年ロンドンで協定が結ばれるまでに10年以上かかって、それもオゾンホールが目に見える形であらわれてからのことだった。このあたりの経緯がいちばん興味深かったが、他にも気になった箇所に目印をつけながら読んだ。

――食糧の流れをより効率的に、無駄をなくして、平等に分配すれば、食糧生産を増大させる必要はないかもしれない
――水揚げ量の増えた分は、まずそれを買うことのできる国のものになる。そうして、もっと魚を必要としている発展途上国に残される分量が少なくなる。
――1カロリーの動物性食糧を生産するために、約7カロリーの植物性飼料を必要とする(その分の植物・穀物で生き延びる人もいる)
――消費の場でゴミ1トンが出る場合、製造段階では5トン、資源採取の段階では20トンの廃棄物が出ている。
――現在の世界経済にはあまりにも多くの無駄と効率の悪さが存在する
――研究を通じて有益だと感じた5つの手段がある。ビジョンを描くこと、ネットワーク作り、真実を語ること、学ぶこと、愛することである。
――物質界の変化ではなく、人々の頭の切り替えが行われたらどうなるか。しかし、これが途方もない変革であることは承知している。

最後の文、まったくその通りで、なかなか頭の切り替えができなくて、ときに食欲の奴隷となってしまう私には耳が痛い。それでも、あきらめずに、続けていくけどね。


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